かぐわしきは 君の…
  〜香りと温みと、低められた声と。

    8 ( 低められた声 )



香りと温みと、低められた声と。
今までは 彼の持つそのどれもが、
意識するより以前から、
ただただ安堵を誘うものだったのにね。
自分だけのものじゃあなくなったらと思うだけで、
その傍に今のよにいられなくなったらと思うだけで、

  ……どうしてこんなに落ち着けない?




     ◇◇◇



思いつきで足を運んだ植物園の
人造池の蓮の花たちが そりゃあ勢いよく開花したことへは、

 もしかしたなら、
 自分の気持ちが連動したせいかも知れない、と

そこはブッダも 心当たりもあってのこと、
ともすれば真っ先に案じていたほどで。
何せ すぐ間近に居たのだし、
しかも、突発事がらみだとはいえ、
何やら動転しかかってもいたのだから、
その影響が現れても、そこは致し方なしというもの。
そも、聖人に“奇跡”は付き物ならしく、
感 極まるほど嬉しいことがあれば、
茨の冠にばらが咲くイエスほどではないにせよ、
触れたものへと何らかの影響が出たことが
ブッダの周辺へだって、これまで一度もなかった訳ではない。
こつこつと節約して買おうと考えていた石窯スチームオーブンを、
イエスから誕生日のお祝いにと贈られたときなぞ、
嬉しさのあまり、感に堪えないという状態へ陥ったせいか、
その足跡へ蓮が次々咲き乱れ、クジャクまで参上したほどだった。
そこまでの高揚感を示さずとも、
公園の遊具という無機物へ
“やる気”を起こさせてしまったことも たびたびあったくらいだから。

 ちょっとした齟齬からどぎまぎしてしまった混乱が、
 ほら笑ってという笑顔を向けられたことで
 不意を突かれて…という、

そんなまで振幅の大きかった ブッダの感情の揺れへ。
生命あるもの、ましてや縁も薄からぬ蓮だっただけに、
彼らが ああもはっきり応じたのも、ともすりゃ頷けるというもの。

 なので…と片付けるのは
 いささか調子が良い話かもしれないが

そちらの騒動に関しては、
実害もそうは出なかったようだしと、
“やっちゃったなぁ”レベルで片付けかけてもいた。
だって楽しかったんだもの、
はしゃいでしまってもしょうがないとイエスに絆され、
気をつけるから もう大丈夫と、気持ちを切り替えた…筈だったのに。

 『  え?』

気分も落ち着き、
何げなく触れただけのベンジャミナにまで花がついたのが、
まずは、やはり気のせいなんかじゃあないという事実への決定打となった。
自然現象などでは勿論なくて、
はたまた、イエスや他の…例えばこそりと降臨中とかいう
自分らには知らされていない聖人の誰かのせいでもなく。
あれもこれも、やはり自分がやらかしたことであるらしいと、
黒に近いグレーの“もしかして?”止まりだったそれが、
ブッダの中で鮮明な自覚となったものの、

 「ブッダ?」

支払いを終えたイエスが戻って来た声で、我に返ったその瞬間、

 「どうかした?」
 「いや、何でもないよ?」

まだ落ち着かないのかと案じた彼へ、
ううんとかぶりを振り、やたらと意識しての笑顔を見せていた。
今また不思議が起きたこと、
この手が触れた樹から、普通ならあり得ない現象が起きたこと。
そうそう大それたレベルの事象でもなかったが、それでも、

 彼に告げてはいけないと、
 咄嗟に思ってしまったブッダであり

これがイエスだったなら、
やだなぁ、まだ落ち着いてないみたいだと、
明るく微笑って告げてくれただろうに。
そして、
笑ってる場合じゃないでしょうと呆れつつ、
でもでも、こちらも
さほど大ごとには構えなかったかも知れないが……。




その後は、先んじて話していた通り、
広々とした温室内の植物展示を見て回り、
常設のそれだという熱帯の昆虫展とやらも見物し。
館内のレストランで軽く昼食をとってから、
温室内で放し飼いにされているという小鳥たちに妙に懐かれつつ、
雨こそ降りださなんだものの、微妙に湿度の高い風が吹く曇天の下、
来たときとは逆を辿るルートにて、松田ハイツまでを帰還して。

 「気温が高いからかな、
  洗濯物は乾いてるようだよ?」

表へ干して出掛けたタオルやTシャツ、
取り込む作業経由で2階の自宅へ戻って来たイエスへ。
こっちも同じくーと、ややおどけて応じ、
膝の回りに広げた靴下やトランクス、
慣れた様子で畳み始めるブッダであり。
こういう作業のときこそ、四角く座ってお膝を台にし、
シャツやタオルも正確に折り畳んでゆく。
その手際がまた、それは的確で要領を得ており、

 あ、そうそう。この靴下、爪先薄くなってない?
 え? あれホントだ。気がつかなかったよ。
 足の爪が伸びているのかも知れないね。
 そうかも…。
 何なら切ってあげようか?
 えー? 悪いよ、そんな。
 だって、イエスって体が堅いって言ってたし。

他愛のないことを話しつつ、
ちらと見やったのは、向かい合うイエスの額を巡っている茨の冠で。
今は平生の仕様で、
短い棘をまとわせた ただただ緑の蔓だけのそれだけど。

 “…そうだ、イエスの冠って
  赤いばらしか 咲いたの見たことないもの。”

もしかして今朝からイエスの冠に咲く白ばらも、
自分のせいで開いたのかも知れないと、今になってそう思う。
今朝の騒ぎの終焉にて、
女性化したブッダが戻らなかったらどうしようと、
びっくりしたし、焦りもしたんだからねと。
やや逆ギレ気味ではあったれど、
しょんもり消耗していたイエスの様子に嘘はなかろう。
だが、そんな中で小さなバラが咲いていたものだから、
そんな気分も持ち直したようだと解釈してのこと、
さあさ、朝ご飯の支度するよと、
誤解も騒ぎもここまでとし、
やや強制的に幕を下ろしたのは自分だったけれど、

 “あれって…。”

勝手な勘違いや、
はたまた筋違いな見栄だか意地だかを張ってのこと。
気を揉んだ末に憔悴し、随分と気落ちまでしたブッダだったのが、
イエスからの、無邪気でさえあった憤慨にあてられ、
呆気に取られた挙句、するすると気を取り直せたから、
それで…という順番で 咲いたものだったのかも知れない。

 “だから、白いばらだったんだね。”

植物園のカフェでも、やはり白いのが咲いていたけれど。
あのタイミングもまた、
イエスの気分の高揚の現れとするよりも、
ブッダの感情の起伏と合致していたと見たほうが辻褄も合う。
そのどちらも、すぐ傍どころじゃあない、
冠へ頬が触れるほどという至近に自分がいたし、
イエスよりむしろ自分の方が、
感情が大きく揺れてもいたのだから…と。

 “………。”

そんなこんなを、今やっと飲み込んだブッダであり。
そうであるものの、それを“そうだ”と、
他でもないイエスに話せないでいるのは、どうしてかと言えば。

 だって、原因は自分だとして、
 だったら“引き金”は

 もしかせずとも、イエスだということになるからで。

だというならば、それはもうもう、
言えるはずがない。
否、言ってはいけないことに他ならぬ。

 “…言えるものか。”

悟られぬよう洩らした吐息がかすかに震え、
それが業腹で、ついのこととて唇を噛む。

 「…ブッダ?」
 「んん? 何だい?」

畳み終えたTシャツやタオルを定位置へと仕舞い、
そのまま、普段は押し入れへ置いている、重箱サイズの小物入れから、
少し大きめの爪切りを取り出して。

 「ほらほら、新聞紙を広げておくれ。」

何の障りも停滞もない会話を続け、
もたもたしないのと、軽やかに微笑うブッダであり。
卓袱台も片付けたままの六畳間は、
何でも始められよう空間と化していて。
その真ん中に陣取ってはいるけれど、
微妙に肩をすぼめての、圧倒されてます状態でいるイエスが、
やや渋り気味に言い返す。

 「やっぱり自分で切るって。」
 「何だい、さっきも言っただろ?」

イエスって体が堅いんだから。
それでついつい切るのも億劫になってたんだろしと、
裏にヤスリが刻まれたところを起こし、
きれいで品のある手へ上手に挟んで構えたところは、

 「…なんか、ネイルケアの先生みたいだね。」
 「じゃあ、おとなしく先生の言う通りにしてくださいな。」

新聞紙は広げたが それを挟んでの向こう側、
足首抱え込んでこっちへ出さない、神の御子様なのへ、
ちょいと目許を眇めての半眼にし、
とはいえ 台詞は芝居がかったそれを吐いての、
あくまでもお遊び半分という態度にて。
さあさあ、とっとと足を出さないか、
弟子の足は洗えても自分の足の爪は切らせないのかと。

 「ブッダ、何かそれ目茶苦茶だ。」
 「そうかい?」

それが何かといかにもな角度で顔を決め、
斜に澄ましてから、あははと笑い合って仕切り直し。
耳の裏から足の指の股までしっかり洗えと、
ブッダが銭湯で指導して来たこれも賜物か。
それはきれいなイエスの足を、そおと大事そうに預かると、

 「動いたら深爪しちゃうからね。」
 「…はい。」

左右の親指から小指まで都合十本、
それはそれは丁寧に、
ぱつんぷちんと摘んでやったブッダであり。
じっとしてろに飽きては、
時々、他愛のないことを話しかけてくるイエスへ。
顔を上げられないからとの大義名分の元、
そんなこと言っても聞けませんだの、
我儘を叱るような すげない返事も時に返しつつ。
その実、どんな声へも愛しくてたまらないと、
こそりと微笑い続けていた彼でもあった。





     ◇◇◇



そも、その手が触れただけで
花が咲くとか植物が威勢良く育つとかいう事態は、
どれもこれも福音に他ならぬ“奇跡”なのであり、
イエス流に言えば“祝福あれ”だ。
いちいち引き合いに出すのも何だが、
一度ツボに入るとなかなか去らないところがあるイエスは、
ちょっとしたネタを数日間引きずってしまい、
その間ずっと、水を葡萄酒に、皿をパンに変え続けることもあったほど。
当然、尋常ではない困った事態ではあったが、

 あり得ない現象なんだから、黙ってりゃあ判らぬと

これが中世の欧州だったなら
“魔女狩り”に遭って吊るし上げられかねぬほどのことだろが。
現状では、いやにパンばかり棚に入っているお宅だと思われるのが関の山。
たとい目の前で皿がパンへ変わっても
“どういう手品ですか”と問われるような、
そんな平和な世情であり、日本という国だからと、
白を切り通すのみと構えていても、それは悪くも狡くもないとブッダも思う。
信じる方がむしろ難しかろうし、わざわざ混乱を投じてどうするか。
しまったやっちゃったと、今後は気をつけるよと、
いわゆる“てへぺろ”で済ませておいでのイエスであり、それはそれでいい。
もしも大変な事態へ発展したならそれはそれ。
イエス当人に頑張ってもらい、ちゃんと責任取ってもらうまでのこと。

 “だが、私は そうはいかぬのだ。”

そう、ブッダは神の子ではない。
梵天を始めとする天部に見い出されたという特別な存在ではあれ、
始まりは“人の和子”なのであり、
様々な苦難や試練、苦行を経てののち、悟りを得、解脱した身だ。
イエスや弟子、守護天使たちの奔放さに面食らうことも多いけれど、
それへ こそりとであれ眉をひそめたことはないのも本当で。
何も優等生ぶって乙に澄ましていた訳じゃあない。
ただ、厳しい戒律を経て至った悟りであるだけに、
自身に厳しくあれと、
作法や礼儀にも乱れやほつれのないよう、
何につけ一糸乱れぬように執り行えてこそ、修養の賜物であり、
常に明鏡止水の如くあれという心の静謐もまた、
まずはの基本であるのが仏教の悟り。
その上で、他者を想うことも慈しみで包むことも始まるのであり、
当然のことながら、
感情や好き嫌いで、示す情の幅やら厚さやらがいちいち揺らいではならぬ。

 それを教えとして説いた、
 他でもない“開祖”でもあるというのに…。

そんな存在が、
事もあろうに そうそう頻繁に心が揺らいでいては
冗談抜きに本末転倒というもので。
ましてや、周囲にこうまで波及してしまうほどの動揺を、
自制でもって押さえ切れないようでは始末に負えぬ。
このまま自制が利かない状態が続くようでは、

 天の国で言うところの
 “堕天”してしまいかねないのではなかろうか。

 「……。」

朧げな想いを言葉にすると、さすがにその重みは大したもので。
自分の思考の中での把握という行為だけで、
肩や背中がギュッと鋼の箍でも嵌められたように、
締めつけられたように感じられるほど。
これが単なる気の緩みであれば、
苦行の百でも二百でも
探して来ての、片っ端から取り掛かり、
そうして自分へ鞭打つことで、心持ちを引き締めて、
雑念も緩みも叩き出せばいいのだと判っている。

 ただ

今日の今日起きた あれこれ、
主には樹木への祝福という形で一気に表出した“奇跡”たちの、
そもそもの根源はというと、
自分へ襲い来た大きな動揺や感情の起伏の余波であり。
自分でも制御が利かない途轍もない動揺だったそれらには、

 どれもこれもに間違いなくイエスが関わっている。

愛すべき友であり、
もしかせずとも、今や掛け替えのない存在でもある彼こそが、
自分をこうまで揺すぶるのであり。
そして、その事実こそが、
どんな試練よりも執拗冷酷にブッダを苦しめる運びとなろうとは、
思いもしなかったのは言うまでもなくて。


  だったら、そんな彼を遠ざけてしまえばいいと。


この一部始終が天部らへと届いたならば、
そうとあっさり裁量されてしまうだろうこと。
何も永遠に縁を切れというのじゃあない。
これまでそうなさっていたように、
天世界のどちらかの領で時間を作って会えばよろしい。
ずっとずっと一緒においでだから、
他愛もないやり取りに心が揺れるし、そのような混乱を招くのであり。
ならばいっそ、たまに逢えるお立場へお戻りなさい、その方が良いと。
ぐうの音も出せないほどの理路整然、説かれて終しまいになること請け合いだ。
それほどまでに明瞭な対処があるにもかかわらず、

  “それだけはダメだ。”

と、心から思う。
だから、イエス本人へも言えないのだし、
何が何でも平静を取り繕わねばならぬ。
天世界での大変な役目から離れ、
悠々と羽を伸ばしていられる この時間や待遇が惜しいからではなく。
天真爛漫、無邪気で伸びやかで。
ちょっぴり圧しに弱かったりもするけれど、
小さきものにはとことん優しいし、手を差し伸べることを惜しまない。
そんなイエスの傍らに、ずっとずっと居たいのだ。
癒されるから? 肩を張らなくていいから?
ただそれだけを望むなら、
いっそ誰もいない無の境地の中へ身を置き続ければいい。
地上での、にぎやかな日々の中、
双方ともに不慣れだったからとか、
主にはイエスの我儘から始まったあれこれで、
ずんと困ったことも多かったけれど。
その後ですぐに ほかほかと笑い合えたのは何故だろか?
懲りないイエスに目くじら立てても、
それでも…困っていれば助けてやりたいし、笑っていればこちらも嬉しい。
拙いながら手を差し出してくれるお顔が、もうもう何とも愛おしくって…。

 気がつけば、
 彼を傷つけるものは許さない、どころか、
 彼からの笑みを誰にも分けたくはないとまで思う自分がいた。
 実はミカエルだった存在へ、
 一瞬とはいえ ああまで動揺したのも、
 あられもなく嫉妬したからに他ならぬと、今なら判る。

人はちょっとずつ助け合って支え合って生きているんだよと、
他でもない神の子のイエスから教わったようなもの。
自分にとっての掛け替えのない存在。
あの優しい手にいつも触れていたいし、
あの声で呼んでほしい。
つっかえながらの子守歌をまた歌ってほしいし、
時折現れるあの清かな匂いをいつも追っていたい。

 だから、

そんな彼と引き離されてしまうなんて、
それこそ思うだけでも心が震える。
成程こうなってしまうから、妄執や執着を禁じているのだと、
今更、しかも開祖である自分が身をもって知ってどうするかと。
痛いほどの皮肉に、
胸の奥で肺腑がぎゅうと引き絞られていて、
そのまま裂かれそうなほどに息が詰まっての苦しいばかり。

 “それでも…。”

それでも笑っていなければ。
いつも通りでいなければ。
そうでなければ、彼の傍らにはいられない。
自身の中の全てを見通し、
その上で、己のが望みを精査した結果、
そのくらいは耐えられようさと腹をくくったのは、
ある意味、堂々と間違っているのかもしれないが。

 自惚れからではなく、
 そうまで見込んだ相手だからこそ
 憂慮されることがもう1つあり。

彼を苦しめたくはないからこそ秘すのだと思えば、
幾らだって黙っていられる、自分を相手の嘘もつけると。
夏に入る前にと網戸を洗い、
布団もシーツも夏掛けに変えようかと、
押し入れを総ざらえにかかり。
今日の晩ご飯の仕込みもこなし、

 「ああいけない。
  今日は あじえんすの詰め替えが200円引きだった。」

駅前の薬局までひとっ走りして来るねと言い出したところが、

 「……ねえ、ブッダ。」

今日はなかなかにお仕事が天こ盛りで、
もう飽きちゃったのか、それとも疲れたか、
イエスがやや神妙な顔をして玄関までを追って来る。
チラシの切り抜きがあるから間違えようもなかろうし、
何だったら息抜きをかねて君が代わりに買って来てくれるかいと、
そうと持ちかけかかったところが、

 伸ばされた手は、
 こちらの手を擦り抜けての、その奥の肩も越え。

ああ、今朝もそこへと顔を埋めちゃった懐ろが
近づいて来たとぼんやり思ったその瞬間、
あ…っと、いやな予感が胸に去来し。
それからどうなるかの先読みまで、
頭の中でではさあっと組み上がったのだけれども。

 それより、ほんの砂の一粒ほどの差で機先を制されてのこと。

頼もしい手がこちらの頭へ添えられて、
そこへ連なる腕で背を抱きくるむ手際のなめらかなこと。
もはや避けられぬほど間近になったお顔は、怒っても笑ってもいない真顔で、
ただ、少しほど伏し目がちになった目許が寂しそうだった。
そんなお顔が視野の中で随分とわきへ逸れてこうとするの、
視線が追いかかったのとほぼ同時、
こちらの頬に触れたのが…思ってた以上に熱い頬と、
やや ちくりとしたのは髭の感触。
これは紛れもなく、
イエスがブッダの頭を抱え込み、頬に頬寄せ、
しかもそこへと小さく きすを落としたものだから。





  「……なっ。////////」


あまりの不意打ち、しかも抱え込まれたのは頭だけじゃあない。
気がつけば、その総身をぎゅうと抱きしめられており。
合わさった胸と胸、腕が添えられたうなじや背中が、
相手の温みと肉置きを感じ、あっと言う間にじわりと熱を帯びる。
お互い半袖で剥き出し同士だった腕は、
さながら、かんかんに熱したやかんに触れているような心持ち。
このままでは火傷をしかねぬと、だから離せともがきかけたが、

 「…何ぁんか おかしいんだよね、ブッダ。」

耳のすぐ間近で、疑いを含んでだろう低められたお声で囁かれ、
ああ、そんなとどめはないぞと身を竦めたがもう遅い。

 「あ…っ。////////」

真っ赤になったお顔を隠したいかのように、
きっちりと神通力で螺髪に圧縮されていたはずのブッダの髪が、
ぶわっと一気にあふれ出し、
深い藍色の絹が二人の足元を埋めたのだった。










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 *理屈言いのおばちゃんですいません。
  でもでも、ブッダさんが
  どうしても自分で自分を追い詰めてしまう性分だから
  ここは仕方がないと諦めていただくしか。(こら)

  そして、ウチのイエス様は案外と肉食です。
  いや食習慣の話じゃなくてね。

 *ところで、
  途中で何か耳が痛いぞーな喩えが出て来ましたが。(笑)
  あっちの話では、
  結局“イエスのパン屋”を
  開くことになったら…どうしましょうね。(知らんわい)


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